初代城主は、串木野三郎平忠道(たいらのただみち)(薩摩郡本地頭(ほんじとう)平忠直(たいらのただなお)の子)で、5代忠秋は南北朝合戦で南朝方に味方して、島津家5代貞久(さだひさ)と戦い、興国3年(1342年)頃城は陥り、忠秋は父祖の地知覧へ逃れた。それ以降当地は島津の支配となる。
文明6年(1474年)川上忠塞(かわかみちゅうさい)が、串木野城主に任じられ、栄久(しげひさ)・忠克(ただかつ)3代に及ぶ。
15代島津貴久(しまずたかひさ)は、山田蔵人(山田昌厳(しょうがん)の祖父といわれている)を串木野・市来の地頭に任じ、島津家17代義弘(よしひろ)は、弟家久(いえひさ)を串木野隈之城の地頭に任じた。
家久は10年間地頭職にあったが、日向佐土原の領主として当地を去った。また、この時、嫡男として島津豊久もここで産声をあげたとされている。その後、文久3年(1863年)まで約30名の歴代地頭名の記録も残っている。