串木野麓と西郷どん

2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」で盛り上がった鹿児島県。
そんな「西郷どん(西郷隆盛)」といちき串木野市「串木野麓」のゆかりのある人物や事柄、場所などをまとめてみました。

串木野麓と西郷どん①

西郷どんより「致堂」の号を与えられた「長谷場純孝」

東京で西郷隆盛と知り合い西郷より「致堂」の号を与えられる。
征韓論に敗れた西郷隆盛が明治6年に鹿児島へ戻り、長谷場純孝も明治7年に警視庁を辞め串木野に戻り私学校に入る。
明治10年の西南戦争では二番大隊一番小隊に所属。田原坂の戦いで右足を負傷し串木野に戻り、島平浦警察分署を襲撃し捕えられ富山監獄に収容される。
明治13年に特赦により出所。国会開設に備え頭山満らと九州改進党を結成。明治18年から鹿児島県議員となり、明治20年から群長を務める。
明治23年に第1回衆議院選挙に当選。衆議院議員を25年間務める。その間、衆議院議長を3回、文部大臣を1回務める。
嘉永7年(1854年)4月1日誕生。大正3年3月15日死去。

串木野麓と西郷どん②

奥田家に一筆残されている西郷南洲書「精神」

※現在「鹿児島県歴史資料センター黎明館」にて寄託保管

奥田家に西郷南洲書が一筆残されている。
裏面上部に小さな文字で「明治三年八月西郷隆盛殿字」と奥田直五郎自身の筆跡で書かれているが、念のため去る昭和五十三年七月、明治百年記念館建設調査室を通じて南洲書鑑定の権威者である坂元盛愛先生に鑑定していただいたところ「直筆に疑いなし」とのことであった。
南洲翁は、その行動表によれば、明治三年七月下旬に福岡に旅しておられるという。この書はその帰途、かねて親交のあった串木野郷麓の長谷場藤蔵(長谷場純孝父、明治十三年九月没 五十六才)氏宅に泊まられし際、奥田直五郎が直接書いてもらったものと推測される。
※奥田家かきとどめより

串木野麓と西郷どん③

二階の隠し部屋で密会!?伝説残る旧入来邸武家屋敷
郷士年寄格で本市に所在する武家屋敷を代表するものである旧入来邸武家屋敷。
築年代は少なくとも幕末期と考えられ、庭に植えられている古木(イヌマキ、ゴヨウマツ)も江戸時代のものと考えられる。
屋敷の二階には隠し部屋があり、言い伝えによると西郷隆盛が密会場所として使用したと言われている。

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