串木野氏の墓


串木野氏は、薩摩郡本地頭(ほんじとう)平忠直(たいらのただなお)の子、串木野三郎平忠道(たいらのただみち)に始まり、2代忠行・3代忠秀・4代平次郎・5代忠秋にわたる120年余り串木野城主であった。
串木野氏五代忠秋が、串木野城の戦いで島津家五代貞久に敗れ、父祖の地、知覧に逃れたのは、南北町時代の興国3年(1342年)であったと推定されている。
古老の話では、明治初年頃までは、大堂庵の墓地に五輪塔の墓があったという。しかし、第二次世界大戦の頃は見当たらなかった。その後、串木野氏の墓がないのはおかしいということで、昭和37年に調査したところ、大堂庵の墓地の付近や畑の石垣の間に、五輪塔の各部や破片などが発見された。
現在、建っている串木野氏の墓は、その時発見された各部(串木野三郎忠道以下代々の墓)を寄せ集めて建てたものである。

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