大中公の廟 串木野麓史跡 この大中公の廟は、島津家久が元亀元年(1571)串木野と隈之城の地頭を兼務したとき、その翌年6月22日父貴久の御霊を迎えたものである。また、良福寺に位牌を迎え、家久は、法要を怠らなかった。藩政時代、良福寺は、串木野郷の菩提寺であった。 昭和42年3月24日に串木野市の文化財に指定され永年、上名4916番2の場所にあったが、南九州西回り自動車道建設工事に伴い上名4788番1に移設されたものである。