加藤雄吉の記念碑

加藤雄吉は明治6年(1873年)に串木野麓で生まれた。16歳で東京法学院に学び桂園派の流れを汲む歌人松浦辰男に入門。門下生の田山花袋、国木田独歩、柳田国男、森鴎外とも深い親交があった。柳田の兄井上通泰の影響を受け民俗学や郷土史家の道に進んだ。帰郷後鹿児島市に移り住み県に関わる古文献を博捜、編著に「近世薩州群書一覧」「串木野村史資料」「日当山侏儒虚言」歌文集「尾花集」などがある。鹿児島県立図書館報には郷土史研究における加藤の多大な功績をたたえる言葉が残る。大正7年(1918年)に45歳で没。串木野麓の大堂庵墓地に残る加藤勇吉の墓碑銘は森鴎外の書によるものである。地元郷土史家の茶園薫氏が加藤の功績に光を当てようと呼びかけ麓地区一帯が日本遺産に認定された時期とも重なり、令和元年12月に建立が実現した。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする